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Tsubameyado blog -side art-

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手紙 - handwritten letter

自分は結構、「手紙」を書く方ではないかと思います。

情報を伝えるという点においては、紙の手紙と電子メールは、同じ目的なのかもしれませんが、
やっぱり違うものではないかと自分は思っています。
(・・・単純に、自分が電子的な文字を打つのが苦手という部分も少なからずあります;)

今使っている便箋の表紙に、こんなことが書いてありました。



-------
The letter does not hurry up an answer.
The handwritten letter has warmth.
The letter will not disappear.
I like to exchange letters.
-------
 
お返事が、もらえたらそれはもう嬉しいに越したことはありませんが、書ける時間がある時に、気が向いたら、もしよければお返事をもらえたら、嬉しいです。


・・・
自分からの色々なお返事やなんかがとても滞ってしまっていて、本当に、申し訳ないのです……;
とりあえず、週末までに頑張ってこの一山を越えます……;
 

切り絵でしか、描けない。2

「研ぎ澄まされた刃の美しい
その切っ先によく似た、そなたの横顔・・・」


これは皆さんご存知の、有名な歌の言葉ですが、
切り絵を作っていて、自分はそんな切り絵を作りたいんだな、と思いました。
昔からずっと感じていた感覚が、この歌詞に集約されているような気さえします。

研ぎ澄まされた刃の、美しい切っ先によく似た横顔・・・

ものすごい言葉だと思います。
切っ先、
例えばこの言葉だけでも、息の一瞬止まるような緊張感を感じます。

「美しい」と「綺麗」も、似ている言葉のようですが、全然、違います。
美しい・・・、
とてもパワーのある、重い言葉です。


自分が切り絵である"最大"の理由は、
「持ち上げられることが出来るから」
「光を通すから」
「切るという感覚が楽しいから」
では、ないように思います。

それよりももっと大きな理由。
それが、この歌詞にあるかもしれません。

自分の切り絵の半分以上は、下書きがありません。
見えない線を、直感の一回で引いています。
見えない線、
そこに、一分後にはあるはずの線。
それを、心の眼で見るような感覚……

そして、切る前に確認します。
本当に、その線でいいのか?と。



そして紙は、生きているように、まさに刻々と、変わっていく。

自分の切り絵は、その過程が、一番時間と神経を使います。


後悔しないように生きる。
永遠、というものですら、一瞬一瞬の積み重ねで出来ているといいます。
それなら自分は、この一瞬に賭けます。

切り絵でしか、描けない。1



切り絵に限らず、何か物事の力を伸ばしたければ、そのテーマとは全くかけ離れたものに触れるべきだと、自分は考えています。
そしてそれは、その扱うテーマと、離れていればいるほど良い。
一見、何の関係もないくらいが良い。

それを感じようとする心さえあれば、きっと日々の全てから、人は学べるのだと思います。

例えば、大陽が昇り、沈むこと。
雨が降ること、風が吹くこと。
地面に触れる皮膚の感触、肌に感じる大気、湿った空気の匂い。
食べ物を美味しいと思うこと。水の一滴が、唇に触れること。

時間は円形ではなく、同じようにみえても、同じ時は二度と来ないこと。

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・・・今日は、自分が切り絵である理由を書こうと思ったのですが、大分脱線した話題になってしまいました;
文字打ちの練習も兼ねて、また更新しようと思います。